2015年10月11日

帝国製鉄のその後・・ その2

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友人から、「帝国製鉄安浦工場」の建設時の画像を貰ったのですが、
加計工場からの移転は昭和32年だと思う。

当時は高度成長の始まりで、八幡では東洋一の大きさの高炉が操業を始めようとしており、
西洋鉄が時代の本流だったはずではないか?

加計工場では、角炉から丸炉へと改良されたようですが、
原料は鉄鉱石とカナクソのミックス、燃料は木炭だった。

で、安浦工場の画像は、八幡よりも小規模の西洋高炉ですが、
海に近いので原材料は輸入していたはず。

JRからの引き込みの鉄路あったので、燃料の木炭は、各地から集めたかもしれない??

調べたところ、当時、「木炭銑」という鋳物向けの鉄需要があり、
木炭と使った銑鉄のほうが高品質だったらしく、すき間を狙った戦略だったのだろうか??

足らない木炭は、中国から輸入していた。

しかし、各方面の技術革新によって、相対的に価値が低下し、需要が減少・・
中途半端な大きさの高炉のためのコスト高・・
結局、5年くらいで倒産した。

のち、肥料工場になり、現在は更地になっています。

現在の遺構・・
海(野呂川河口)から工場への搬入のためのコンベアーの土台
鉄道からの引き込み線(ゆめタウンP)、なごりの湾曲したブロック塀、三角地
派生した小さな運送屋

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posted by fuuen at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 呉・大和ミュージアム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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